(続き)

私がある先生に、不登校初期の段階で言われていた言葉です。

「小さな親切、大きなお世話」
「小さな親切、大きな下心」

親が先回りしてちょっとした声を掛けるのも、子どもにとってはうるさいだけの余計なこと。
親がちょっとアドバイスしたつもりの言葉の裏には、ああして欲しい、こうなって欲しい、と大きな下心があることを、子どもはお見通し。

この意味が、どん底の段階では上滑りしていましたが、子どもを「受容する」ことができるようになって、すんなり実感できました。

子離れするための考え方がわかり、「子どもは一人の他者である」という感覚がうまく掴めてくると、私自身動揺しなくなり、不安やイライラが減りました。

これは、子どもに対してだけではなく、全ての事柄に対してです。

夫婦間でも、余計な一言で相手を不快にさせることが減り、情報交換がスムーズに行われるようになりましたし、発達障害や不登校に理解がない私自身の親に対しても寛容になりました。

「子どもの不登校のせいで、辛い思いをさせられていると思っていたけれど、子どもの不登校がきっかけで、私自身は人間として成長できたと思います。」

この話をして、私は先ほどの先生のカウンセリングは卒業となりました。

我が子は現在中学三年生。
本来なら受験生ですが、受験する学校も決まってないまま12月にカウンセリングを卒業。
でも、それでいいような気がします。
こんな不登校相談の卒業もありなんです。

この卒業の直後、極端な性格の我が子らしい急展開が起こりました。
本人が言い出すまで待とうか悩んでいた進路についてですが、唯一見学に行けた通信制高校のことを聞いてみると、

「行かないとは言ってない」

という返答。
どう捉えていいのか難しかったのですが、これが精一杯なんだろうと理解して、手続きを開始しました。

あれよあれよと話が進み、冬休みに入る直前に高校側での個別相談、冬休み明けには中学側での面談や、校長先生との面接まで順調にこなしました。

そして、一月半ばの受験当日。
私は家を出るまでは何が起こるかわからない、と覚悟していました。
本人は久しぶりの早起きに苦労して多少プレッシャーを感じていましたが、うまく吐き出していましたし、基本的には落ち着いていました。
以前ならそのプレッシャーは全て私に当たることで表現していたのに、今は自分で処理しているのです。
ものすごく成長を感じた瞬間でした。

会場に入って行く姿を見送って、一人になってみると、これまでとは全然違う清々しさを感じました。
子どものことが、全く心配じゃないのです。
何をしているのか、大丈夫か、思い出して気になることもありませんでした。

午後からの保護者同伴の面接でも、ハラハラもせず、子どもが何を話すのかじっくり聞けました。
私が思っている以上に高校生活について具体的に考えていて、感心するほどでした。
中学の先生方に、描いた絵を面接で見せるようアドバイスして貰っていたので、終了間際に自分から申し出て、面接官の先生方に見てもらうことができました。

面接が終わり部屋を出てすぐの第一声が、
「ああ、面接面白かった!」
でした。
落とすための試験ではないとはいえ、ある意味大物かもしれません。

数日後、結果の通知が届きました。
ちょうどその日は担任の先生と登校の約束をした日だったので、嬉しそうに合格通知を持って学校に行きました。

この先の人生は、もう子ども次第。
親はスポンサーとしてできる範囲の応援をするだけです。

(終り)


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以上で『不登校生支援』に掲載された「この子のおかげと思えるまで」は終わりです。
長い手記を読んでくださり、ありがとうございました。

次回は、ちょうどこの頃の、娘の変化をお届けします。


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