不登校をしている子どもが、自ら望んで「学校に行く」と言うことがあります。

ところが、まだ心身のエネルギーが十分でない子どもの「学校に行く」は、心配掛けている親を思ってのことだそうです。


親は、学校は行くものという価値観で子どもを育てているので、子どももまた学校は絶対行くもの、と思っています。

不登校はその価値観と相反する行動ですが、子どもは本能的に、身を守るために学校に行かないのであって、親の価値観を否定しているわけではありません。

むしろ休んでいることの罪悪感でいっぱい。

親や先生に対する申し訳なさで苦しんでいるのです。


そのため、こんな自分でも受け入れて欲しい、なんとか親に認めてもらいたいという思いから、無理して「サービス登校」するのだとか。


結果はどうなるでしょうか?

親もガッカリ。
子どももガッカリ。
です。

空っぽのコップの水が、やっと3分の1くらいまで溜まったかなぁという時に、また空っぽにするようなもの。

その日だけ、数日間だけの登校で、また元の生活に戻ってしまうのだそうです。

また、いわゆる五月雨登校は、この「サービス登校」が継続している状態だと小児科医の北島先生は言っています。

親への気遣い、先生への気遣いで登校しているに過ぎず、子どもの心が膨らむことはないとか。


子どもの、自分自身を認めてもらいたいという、痛々しいほどの切望が「明日学校に行く。」と、言葉になるわけです。

言わせているのは、親の心。

子どもにしっかり読まれているからです。


親が不登校解決の意味を、「学校に行くこと」「学校に戻ること」にしてしまうと、集団生活に苦痛を感じるタイプの子どもには、根本的な解決とはなりません。

「サービス登校」で迂回したりして、結果的に子どもの回復を遅らせることになります。


まずは、親が子どもの気質を理解することが先決です。(このブログでは「ST気質」を推奨しています。)

そして、これまでの子育て法を立て直していきます。(このブログでは、カテゴリ「思春期の子育て」シリーズに書いたこととなります。)


子どもの進路は、それを経て見えてくるものであって、親の思い通りには行かないもの。

あまり無理させると、うちの娘のように学習意欲すらなくなってしまいます。


学校は評価がありますから、一定の基準より上か下かで判断する世界。

しかしST気質の子は評価されることを嫌うので、学校の仕組みそのものが意欲の減退につながります。

自分の興味、関心のあるなしで成績は凸凹、同じ教科でも安定しない、という子どもも多いようです。(娘もそうでした。)


好きな教科や得意科目があるなら、理科でも社会でも、体育でも音楽でも、とにかくそこだけできればよしとし、あとは目をつむれば不登校など思春期の闇に落ちることも少ないようです。

将来的には得意分野を突き詰めて、プロフェッショナルとして働くようになるタイプです。

成績をならすように、不得意なところばかりをやらせようとするのは避けた方が良く、この点は親だけではなく学校側との共通認識が必要となります。


でも、うちはもう不登校だし、思春期の闇にどっぷり浸かってるし、といって手遅れかというと、そんなことはありません。


親はもちろん、本人も気質を理解することはとても大切で、まず自分がどんなタイプの人間かを知り、そこを肯定的に納得できれば、病理の域に入るのを阻止できます。

また周囲がその子に適した対応を取れれば、引きこもりの長期化を防ぐこともできるでしょう。


厳しい言葉に聞こえると思いますが、子どもが生き生きと活動できることと、自分を否定し、病理の域との境界線に居続けるのと、どちらが人間らしいと思うか、です。


子どもが再び生き生きと暮らせるようになるために、親としてやれることはたくさんあるはずだと思います。




今回の記事はここまでです。
お読みいただき、ありがとうございました。

次回は、今回の続きとして「不登校解決の鍵」について書くつもりです。


ブログランキングに参加しています。
どれか一つ押してくださると嬉しいです↓↓ 

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ 
にほんブログ村

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ 
にほんブログ村



二つ目もぜひお願いします ↓↓




どうもありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。



海野しぶき